マザー2ね、マザー2。
まあ相も変わらずチマチマと稽古してますが。
いいことあったから書くよ。
この一年僕は、これまでのように、いろんな劇団に客演してきたよ。
お上手ではない僕の長所はやる気と根気と体力だったのだけど、この一年猛烈に体調を崩し(このことに関しては、また別の機会に詳しく書こうと思う)、数少ない頼どころが消滅した僕は大変自信を無くしていたんだ。
そんな時に演劇のこと考えてもあんまりうまくいかないのは明白で、いろんな劇団でいろんな演劇をやっていくうちに、大変なアイデンティティクライシスを起こしてしまったのです。
「何のためにセリフを喋るのかわからない」
大変です。
なんで演劇やるのかとか、そういうモラトリアム的な、個人の問題を抱えるとかそういうんじゃなくて、なんだかおかしな疑問を抱えてしまったのです。
誰と何をやっても、
「わあーセリフ上手だなあ」
とか変な感想抱くばかりで、
「さて、僕はこれに返事しなくてはならないのだが、何故その必要があるのだろうか」
とか
「別にこのまま黙っていてもいいんじゃないか」
とか
反抗期の10代みたいなことばっかり考えていました。
多分に、表現の仕方に誤解を生む要素がある気がしますが、上手に受け取ってください。
で、まあそのままじゃラチがあきませんから、都度都度現場のシステムにのっとって思考し、なんらかの答えを見いだしてやってきたのです。
でもあれじゃないですか、都度理解して納得したつもりでも、もっとこう、欲しいじゃないですか。
理解した瞬間、頭の上に電球がつくみたいな、恋愛で言えば、ビビビっと来た、みたいな。
ヘレン・ケラーが、水の存在を理解した時みたいな。
……そういう…、そう、圧倒的っ!
圧倒的理解っ!
圧倒的納得っ!
大人は質問に答えてはくれないじゃないですか。
地球の重力に魂を引かれたオールドタイプでは真実に辿り着けないじゃないですか!
それはエゴじゃないですか!
と言う訳で、根本的解決をするべく、日々精進しているんです。
そこで迎えた先日のライトマン稽古。
またいつもの台本冒頭をやってるんですが、最近は、台本離してやってるんですね。
で、一言喋ってはやり直し、二言喋ってはやり直し、というのを延々とやってます。
なんだかこれだけ聞くと、大変な苦行みたいな感じですが、建設的な意見交換しつつ仮説を立てながらの検証作業なので、むしろ超楽しい。
そんな繰り返しが実を結んだのか、ついに、ようやく!
めっちゃ普通に喋ることができたのです。
喋りはじめ、聞き、応える。
それを続ける事ができたのです。
普通に喋ると言うのがミソ。
上手になったわけじゃないんです。
ここから、稽古を繰り返して、表現、というような事に挑戦していかなくてはならないのです。
稽古を繰り返して繰り返してやっと、スタートラインに立てたのです。
イイヤッフウ!
たーんのしーい!
やっと帰ってきた感じです。
今ならあるよ、喋る必要。
一筋の光明。
これがありゃあどんぶりメシ3杯はいけるよ。
これがありゃああと三年は戦えるよ。
ああ、良かった。
なんか誤解招きそうだけど。
違うんだ!
常に勉強して行きたいんだ!
俺は、赤ちゃんなんだ!
やー!
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台詞の受け渡しごっこしかしてないからじゃないですかね。
感情が相手から届けば、自然と感情にのって返せると思うのですが
札幌演劇は感情のぶつけあい芝居が少ないので
むつかしいとは思います。
つまりは下手な奴が多い